おおいし呉服店
2015年03月15日
少し気が向いたのでたまにはこんなブログ書いてみます。
今日僕はお弁当の配達のため浜松市内をぐるぐる回っていました。
丁度昼時浜松市内の実家近くを走っていたので、「たまには親父おふくろと飯でも食うか」と立ち寄ってみたわけです。
実家と自宅は結構近くなんですけど、やっぱり僕も男ですね。用事がない限りなかなか寄ることはありません。ましてや「実家で飯食う」なんてここ3年ぐらいはなかったように思います。
そして僕の実家『おおいし呉服店』です。


浜松市内の静かな住宅街にひっそりとそのお店はあります。住居も兼ねています、僕も高校2年、3年の時にここに住みました。一見お店を営業してるなんてよく分からない作りの店です。
ここで皆さん是非勘違いなさらないで下さい。呉服屋と言うと代々続く金持ちの家とイメージされるかもしれませんが決してそんなことありません。親父が丁度僕ぐらいの年齢の時に脱サラ、苦労して独立開業した金も何もないちっぽけな店なんです。

(店に入ったら振袖がおいてありました。さすが呉服屋の息子!パッと見ればその着物が何なのかすぐ分かります。笑)
親父は元々は引佐の山奥の出身。京都は西陣織のメーカーに勤めていました。おふくろは京都人。だから僕も京都生まれ。親父が京阪電車で会社に通える大阪は枚方市に住んでいました。
親父にその時の気持ちを聞いたことはありませんが、やがて一念発起、「自身で事業を行いたい、そのためには自身のルーツである静岡県西部地区へ」となり、一家6人の民族大移動となるわけです。
僕は4人兄弟の末っ子、そして3男坊。しがらみなく好きなことさせてもらってます。この家もあんまり僕には関係ないかもしれません。家には興味はないけども、それでもだんだん年老いていく親父とおふくろのことは少し気になりますね。

(この帯も振袖用のものですね、今でも京都から引っ張ってんのかなぁ?)
親父もおふくろももう70代、今ではライフワーク!?のようにこの店を営んでいます。僕の姉ちゃんがたまに手伝っていると思います。僕的には「ボケるよりはよっぽどまし」と思いつつ、もうあんまり無理して欲しくないですね。
それでもやっぱり『蛙の子は蛙』ですね、業種は全く違えど今僕は親父おふくろが歩んできた道をなぞるように歩いています。子供の頃はそんなこと考えもしませんでしたが今にして思います。「僕を含めこの商売で子供4人育てんのはホンマ大変やったやろうなぁ」って。僕も子供4人を持つ親として、偉大な親父おふくろに改めて感謝したいです。決して口にだしては言いませんが...。
昔やんちゃ坊主だった僕は、悪さして親に怒られるとたまに言われるセリフがありました。「お前はなぁ、ホンマは生まれてけえへん子やったんや!3人で終わらせたかったんや!怒」
今にして思えば「確かに!(笑)」とも思いますが、それでも末っ子として親の愛情はたっぷり受けて育ったと思います。何より生み落としてくれたわけですから「生まれてけえへんかった子」ではありません。

(反物ですね、これが喪服やいろいろな着物、襦袢に化けます)
そんな親父とおふくろに対して「何をどうしたら親孝行なんやろ?」って考えたりもします。
何年か前NHKさんにうちの会社をクローズアップしてもらった時があって、その時はうちのおふくろ喜びましたねぇ。「あんた、平清盛(当時の大河ドラマ)と同じチャンネルに出てるやないの!」って。(笑)
(当時のブログです)
↓↓↓↓↓↓↓
http://tsk.hamazo.tv/e3208611.html (2012年5月16日 NHK OAその後・・・)
親父も僕のこと遠くから見てるんでしょうか?「お前には楽しませてもらってる」って言う時があります。
これも親孝行のうちのひとつなのかもしれませんが、やっぱり年老いて気力が弱っていく親父おふくろに元気な子供の姿を見せるのが一番の孝行なんでしょうね。これからも気が向いたら寄ることにします。皆さんも皆さんの親御さんに是非そうしてやって下さい。

(やっぱりうどんは関西のきつねうどんやった...)
今日僕はお弁当の配達のため浜松市内をぐるぐる回っていました。
丁度昼時浜松市内の実家近くを走っていたので、「たまには親父おふくろと飯でも食うか」と立ち寄ってみたわけです。
実家と自宅は結構近くなんですけど、やっぱり僕も男ですね。用事がない限りなかなか寄ることはありません。ましてや「実家で飯食う」なんてここ3年ぐらいはなかったように思います。
そして僕の実家『おおいし呉服店』です。
浜松市内の静かな住宅街にひっそりとそのお店はあります。住居も兼ねています、僕も高校2年、3年の時にここに住みました。一見お店を営業してるなんてよく分からない作りの店です。
ここで皆さん是非勘違いなさらないで下さい。呉服屋と言うと代々続く金持ちの家とイメージされるかもしれませんが決してそんなことありません。親父が丁度僕ぐらいの年齢の時に脱サラ、苦労して独立開業した金も何もないちっぽけな店なんです。
(店に入ったら振袖がおいてありました。さすが呉服屋の息子!パッと見ればその着物が何なのかすぐ分かります。笑)
親父は元々は引佐の山奥の出身。京都は西陣織のメーカーに勤めていました。おふくろは京都人。だから僕も京都生まれ。親父が京阪電車で会社に通える大阪は枚方市に住んでいました。
親父にその時の気持ちを聞いたことはありませんが、やがて一念発起、「自身で事業を行いたい、そのためには自身のルーツである静岡県西部地区へ」となり、一家6人の民族大移動となるわけです。
僕は4人兄弟の末っ子、そして3男坊。しがらみなく好きなことさせてもらってます。この家もあんまり僕には関係ないかもしれません。家には興味はないけども、それでもだんだん年老いていく親父とおふくろのことは少し気になりますね。
(この帯も振袖用のものですね、今でも京都から引っ張ってんのかなぁ?)
親父もおふくろももう70代、今ではライフワーク!?のようにこの店を営んでいます。僕の姉ちゃんがたまに手伝っていると思います。僕的には「ボケるよりはよっぽどまし」と思いつつ、もうあんまり無理して欲しくないですね。
それでもやっぱり『蛙の子は蛙』ですね、業種は全く違えど今僕は親父おふくろが歩んできた道をなぞるように歩いています。子供の頃はそんなこと考えもしませんでしたが今にして思います。「僕を含めこの商売で子供4人育てんのはホンマ大変やったやろうなぁ」って。僕も子供4人を持つ親として、偉大な親父おふくろに改めて感謝したいです。決して口にだしては言いませんが...。
昔やんちゃ坊主だった僕は、悪さして親に怒られるとたまに言われるセリフがありました。「お前はなぁ、ホンマは生まれてけえへん子やったんや!3人で終わらせたかったんや!怒」
今にして思えば「確かに!(笑)」とも思いますが、それでも末っ子として親の愛情はたっぷり受けて育ったと思います。何より生み落としてくれたわけですから「生まれてけえへんかった子」ではありません。
(反物ですね、これが喪服やいろいろな着物、襦袢に化けます)
そんな親父とおふくろに対して「何をどうしたら親孝行なんやろ?」って考えたりもします。
何年か前NHKさんにうちの会社をクローズアップしてもらった時があって、その時はうちのおふくろ喜びましたねぇ。「あんた、平清盛(当時の大河ドラマ)と同じチャンネルに出てるやないの!」って。(笑)
(当時のブログです)
↓↓↓↓↓↓↓
http://tsk.hamazo.tv/e3208611.html (2012年5月16日 NHK OAその後・・・)
親父も僕のこと遠くから見てるんでしょうか?「お前には楽しませてもらってる」って言う時があります。
これも親孝行のうちのひとつなのかもしれませんが、やっぱり年老いて気力が弱っていく親父おふくろに元気な子供の姿を見せるのが一番の孝行なんでしょうね。これからも気が向いたら寄ることにします。皆さんも皆さんの親御さんに是非そうしてやって下さい。
(やっぱりうどんは関西のきつねうどんやった...)
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浜松なんですね!
呉服屋さん、いいなぁ~(*^_^*)
そうなんです、実は浜松で細々とやってるんです。
でもいいことも何もないですよ。おおよそ衰退していく産業なんで...。
そう言いながら、僕は親父とおふくろがやってきた仕事に誇りを感じますけどね。(笑)