北淡震災記念公園

TSKサービス Ohishi

2015年06月01日 19:41

昨日に引き続き今日も淡路の話です。

僕が泊まった民宿平林荘から車で5分もかからないところに北淡震災記念公園はあります。関西圏以外の人達は馴染のない言葉かもしれませんが、いわゆる野島断層がここにあります。


(北淡震災記念公園)


(関西人なら誰もが知ってる言葉です)


今から20年前の1995年1月17日午前5:46、阪神淡路大震災はこの野島断層含む「六甲・淡路島断層帯」がずれたことにより生じた地震と言えます。


(20年前の活断層のずれがそのまま保存されています)


(直下型地震は凄まじいです。淡路の方たちはさぞかし大変だったことでしょう)


僕は被災者とまでは言えないけども、20年前のこの日は大阪市は生野区のボロアパートにいました。恐怖したあの日の記憶が鮮明に蘇ってきます。(因みにこの震災で生野区内でも7件の火事が発生しました)


当時貧乏学生だった僕は昼過ぎから夜中にかけてバイトをしており、この日も午前3:00ぐらいに帰宅。丁度寝るか寝ないか、うとうとしてた頃です。

ドーンッ!!!と下から突き上げられたと思ったら、後はなすがまま。よく「地震がきたら机の下にもぐるように」って言いますが、あんなん嘘です。これだけ揺れたらそんなこと絶対できません。文字通り揺れがおさまるまでなすがままなのです。

こんな大きな地震を体験したことがなかった僕はとても「地震だ!」なんてすぐには思えず、「誰か怖い人か天狗が部屋の中に入ってきた!」ってホンマそう思いました。笑わそうなんて思ってません、マジでそう思いました。

僕はまだ大阪市内だったのでよかったものの、買ったばかりのビデオデッキはブーメランのように飛んで行くし、部屋中ひっくり返るし、ぼろアパートゆえにコンクリの壁はひびが入りました。

揺れがおさまって、けたたましく鳴り続ける非常ベルの音にハッと我に返って、「今のは地震?そうだとしたらえらいこっちゃ...」とTVをすぐつけました。アパートの人はみんな外に飛び出していましたが、僕はTVを見続けました。

僕今でもはっきり覚えてます。どこの局かはもう覚えてないけど、一番最初に僕の目に飛び込んできたテロップは「地震。震源地京都」って出ました。「めっちゃやばいやん」と、京都のおばあちゃんところに電話したけど回線パニックでもう既に電話はつながらず。

そして次第に夜が明けはじめるにつれて、神戸の惨状が映し出されるのです。


(阪神高速神戸線の横倒しを再現したものです)


(惨禍に包まれる神戸の街並み)






北淡震災記念公園には野島断層以外にもいろいろなものが展示されています。




(当時の新聞です)


(倒壊を間逃れた当時の家もそのまま保存されています)


(これはあかんわ。ぐっときます)


その日僕の部屋は断水したので、水の出る一人暮らしをしている学生仲間の部屋に数人で集まって、余震に恐怖しながら「誰か死んでへんか?」と、TVで死者や行方不明者のテロップを食い入るように見つめました。

その中の一人が真顔で言いました。「オレな、ホンマ怖い...」
「お前だけとちゃうねん、オレも怖いねん...」と心の中でそう思いました。もうあんな怖い思いするのはホンマに嫌です。


僕が帰る頃、和歌山ナンバーの大型マイクロバスが小学生の子供たちを積んでやってきました。遠足かなんかでしょうね。「もうこれは絶対見といた方がいい。絶対風化させてはいけない」そう思いました。


(子供たちが列を作って歩いて行きます)


和歌山の人達ももちろん静岡の人達も、たくさんの人達が地震が起きる覚悟をしておかないといけないのです。南海トラフ巨大地震は近い将来確実にやってきます。





最後に...できることならこの歌を聞かなくてもいい方がいいんですけど、神戸や東北で被災された方々、今も震災と戦ってる方々のために、そして改めて亡くなった方々への鎮魂ともしたいです。






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